2012年4月29日日曜日

得能洋平「「野宿」と文化」


得能洋平「「野宿」と文化」

大阪府立大学総合科学部人間科学科森岡研究室学生レポート
「野宿」と文化
得能洋平


0 はじめに

 本稿のメインテーマは、日本における「野宿」生活に「文化」の視点を持ち込むことである。 
 今回、私にこのようなテーマを与えたそもそものきっかけは、90年代後半から2000年代初期にかけて日本と諸外国のサブカルチャーを紹介した雑誌、『BURST』(コアマガジン)の記事にある。そこで連載された『ASAKUSA STYLE』という企画は、一般に「ホームレス」と呼ばれている人々の住居を、写真中心に紹介するものであった。ここでは、違法/合法という基準や、社会にみられる経済格差の問題意識を強調されることはなく、ある特殊な居住形態にみられる文化を紹介する、といった視線にとどめられた。一般に「野宿」生活者もしくは「ホームレス」について語られるとき、それらが社会における「問題」として語られることが多いなかで、「問題」を切り離す(しかしそれは、人に何らかの問題意識を抱かせる可能性をもっているわけだが)視点は、日本においては貴重な企画であったといえるだろう。この企画は、2003年5月にまとめられ書籍『ASAKUSA STYLE』として出版された。他方、2004年の7月には、早稲田大学で建築を学んだ坂口恭平が「野宿」者の住居を建築としてあつかう視点から撮影した写真集、『0円ハウス』が出版されている。この2冊は、「野宿」生活に文化の視点をもちこみ紹介した、貴重な例であるといえるだろう。
  ところで、私が手にした号の『BURST』では、偶然にも別のページにおいて、オランダのアーティスト系の若者達が、廃墟となったビルを占拠して暮らす「スクウォット」と呼ばれる生活が紹介されていた。その生活は、日本の「野宿」生活とは異なり、貧困の問題を感じさせない、ひとつの生活スタイルとして積極的に選択されたものであるように思われた。同じ号に掲載された、この二つの「不法占拠」の対比は、日本における「野宿」生活を考え直させるものであり、なにかしらの可能性を感じさせるものだった。「スクウォット」が意味する生活形態の幅は広い。そこには、単にこの雑誌で掲載されたような芸術系の生活ばかりではなく、当然ながら貧困を背景にし、行政や土地所有者との対立を抱えながらなされる生活も含んでい� �。しかしその生活のノウハウは、支援組織によってホームページで公開され、『SQUATTERS HANDBOOK』という書籍として安価で販売されるなど、共有が活発におこなわれている。「野宿」には感じにくい、文化の所在が、そこでは感じられた。
  『ASAKUSA SVTYLE』と『0円ハウス』の二冊は、日本の「野宿」に、スクウォットとは異なるが、また共通したものを持つ、文化と可能性を感じさせた。そこでなされたような「野宿」生活に文化をみいだす行為とはどのようなものであり、社会においてどのような意味をもちえるのか。これについて考察することが、本稿の目的である。

1 「野宿」生活の現状

 「野宿」生活の文化について考える前に、ここでまず現在おこなわれている「野宿」生活の背景を、簡単に紹介する。「野宿」生活に関する調査は、これまで各地の都市部を中心に行われてきたが、ここでは大阪府における「野宿」生活の実態を調査した、大阪府立大学社会福祉学部都市福祉研究会の「大阪府野宿生活者実態調査」(2001年)や、大阪市立大学都市生活環境問題研究会の「大阪市における野宿生活者の実態調査」(1998年)を主に参考とする。

1−1 「野宿」生活者の定義

  「野宿生活者」「野宿者」といった言葉は、一般的に「ホームレス」と同義であるように用いられているが、本稿ではあえて「ホームレス」という言い方をせずに「「野宿」生活者」という呼び方を用いる。「ホームレス」=「homeless」という言葉は、諸外国でも用いられているが、そこでは「home」を単なる「居住空間としての家」とはみていない。「home」には、「house」とは異なり、「家庭」といったような非物質的なものの意味を含んでいる。よって欧米での「homeless」には、物質的な「house」はあろうとも「home」を失っていると思われる人たち、すなわち、簡易ホテルで生活する人や、家賃滞納によって住居の明け渡しを要求されている状況にある人や、ドメスティックバイオレンスから逃れるべく持ち家を出てシェルターに暮らし� �いる人といった、日本の「ホームレス」の概念が取りこぼしている人々をも、その範疇に含んでいる。このような意味の違いは、日本における「野宿者問題」「ホームレス問題」が、脱落した貧困者の問題として単純に扱われ、広く社会と連続した問題であるという認識を欠いているから、ともいえる。本稿では、日本における路上や公園などで暮らす人々を限定的にさして「「野宿」生活者」と呼び、考察の対象とする。

1−2 「野宿」の発生・増加


ケンタッキー州の略称は何ですか?

  社会における貧困層である「野宿」生活者は、古くから存在し続けていた。大戦後の復興は、多くの人にとって(ある意味で)「野宿」からのスタートであったといえるし、その後の経済成長や不況といった社会変動のなかでも、常に「野宿」生活者は存在した。しかし近年において「野宿」が問題として大きくとりあげられるようになり、また事実、増加し可視化してきたといわれるのは、1990年代の前半であったといわれる。大阪府の実例として『大阪府野宿生活者実態調査報告書』から、現在「野宿」をしている人を対象に行った、はじめて野宿をした時期についてのアンケート結果をみると、89年以前に「野宿」生活を始めた人が全体の4.9%しかいないのに対し、90年から94年の間に始めた人は8.9%と急激に増加し、以後各年に始めた 人の率は4.3から24.4%の間で動いている。これは、あくまで現在「野宿」生活を行っている人を対象になされた調査で、現在は「野宿」生活を脱した人をふくまないものであるが、それを考慮しても、90年代に多くの「野宿」生活者が生み出されたことは想像できるだろう。ちなみに、95年から毎年の調査を行っている東京都のデータによれば、23区内において「野宿」生活を行っている人の人口は、96年の8月時点で3500人だったのが、以後3700人(97年8月)、4300人(98年8月)、5798人(99年8月)と、年々増加していることがわかる。
 「野宿」生活をはじめるきっかけとして多くあげられるのは、失業による経済状態の悪化である。調査によると、「野宿」生活にはいる直前の職業としてもっとも多いのは(56.9%)、建設関連の仕事である。日本の産業構造が建設業からサービス業中心へと移行した後におきたバブル不況が、建設業に携わっていた労働者に深刻な打撃を与え、多数の「野宿」生活者を生み出したことが予想される。以後も続いている不況は、年々「野宿」生活者を増加させていると思われる。

1−3 居住形態

  「野宿」生活の形態は様々である。大阪市立大の『大阪市における野宿者概数調査』(1998年)の分類に従えば、「テント・小屋掛け、その他」「囲い段ボール、ふとんその他」「敷物・ベンチ」「なにもなし」などがその形態としてあげられる。この調査でもっとも多かったのは「敷物・ベンチ」の4,360人で、以下に「テント・小屋掛け、その他」の1,824人、「なにもなし」の673人、「囲い段ボール、ふとんその他」の518人が続く。居住形態と「野宿」生活の継続年数の関係に関するデータを見つけることはでなかったが、長期的な構えで「野宿」生活を送っている人が「テント・小屋掛け」といった形態にあるのではないかと予想できる。

1−4 地域、年齢、性別の分布

  2003年に国がおこなった「ホームレスの実態に関する全国調査」によると、日本全国の「野宿」生活者の総人口は25,296人となっている。「野宿」生活者は仕事を必要とするため都市部に集中する傾向があるが、特に多いとされるのは、大阪市の8,660人、東京都(区部)の4,300人、名古屋市の758人、川崎市の746人、横浜市の439人などである(すべて98年の調査結果。ただし調査方法には各都市間で違いがあるので注意)。
  年齢分布では、各都市の調査に共通して、50代と60代が多く、50代と60代の合計数は全体の60%を超える結果となっている。
  性別分布では、圧倒的に男性が多く、女性の占める割合は各都市においてそれぞれ5%未満である。これは、「野宿」生活に至る要因が、単なる貧困の問題に限定されず、周囲との関係性が重大な要素としてあり、女性は家族や親族との関係において保護されるが、むしろ男性はなんらかの理由でそこから離れ、「野宿」生活に至るケースが多いのではないかと予想される。

1−5 制度との関係

 日本の法制度では、憲法第25条に生存権が保障されており、それを実現すべく各種の社会保障制度がつくられている。本来、失業保険や公的年金といった社会保険制度によってフォローされない状態にある者には、最終的なセーフティネットとして生活保護制度による保護が適用されるしくみとなっている。しかし実情では、65歳以下のものには稼働能力があるとして、また住所不定者にはそれが慣例であるとして、「野宿」生活者の生活保護需給は認められないケースがほとんどである。こうしたなかで、主な「野宿」問題対策としては、自立支援センターやシェルターへの入所を促し、そこから就労による「自立」、もしくは生活保護費の支給を開始するといったルートが提示されている。
 「野宿」生活者の多くは、こうした行政の取り組みに対し、ひややかな反応を示している。その背景には、行政の世話になることへの抵抗感や、こうした施策が実際には不十分なものであり現在の「野宿」生活を維持することに比べて最終的な安定が得られないのではないかという不信感、施策が隔離・収容を基本としているためそこでの生活は今ある自由や権利を損なうものであるとする考え、がみられる。「野宿」生活者をとりまいていた経済などの状況が、当人をその生活へ導いたことは確かであるが、現行の施策を前にしてなされる「野宿」生活の維持は、ある種の自主選択のもとになされているともいえるだろう。

2 文化について

 文化とは何であるか。日常的に使われる単語でありながら、「文化」という言葉の意味するもの、使われ方は幅広く、明確な定義はむずかしい。ここではまず、本稿であつかう「文化」の意味について、ある程度の絞込みをすることで、後の考察のための足場づくりとしたい。
一般的に「文化」という言葉はどのように使われているか、辞書(『大辞林』三省堂)を参照してみると、


我々は得られません。

(1)社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
(2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。
(3)世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。文明開化。
(4)他の語の上に付いて、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。「―鍋」

と、4つの用法をみることができる。本稿では、「野宿」生活を、日本における生活形態のひとつとして区分し、そこにどのような特徴をみることができるかを考える。よって、上にあげた4つの意味では、(1)の意味で、「文化」という言葉を用いることとなる。ここで特に重要としたいのは、文化が、経験、学習によって、成員が自らつくりだしたものである、ということである。経済状況や周囲との関係といったものを含むなかから、「野宿」生活者に共通すると考えられる環境を想定し、そこで確立されてきた生活スタイルを、「野宿」の文化とし、以下で考察の対象とする。

 (注意点)「野宿」生活に文化をみいだすことは、「野宿」生活を、特殊なものとして「一般社会」から切り離そうとする性質を持ちえる。そこには、社会と「野宿」の連続性を前提とし、「野宿」を社会における問題としてあつかう視点とは、対立にも近い立場の違いがある。しかし本稿のとる立場は、なんら「野宿」の問題性を不問にするものではない。本稿が目的とすることは、第一に、日本社会において、居宅生活とならんでみることのできる「野宿」生活を、文化をみいだす対象とすることであり、第二に、そうすることが社会(居宅生活と「野宿」生活をあわせたもの)と「野宿」のあり方にどのような影響を与えるかを考えることである。文化をみいだそうとする行為は、ある人々を「集団」とする領域設定のみによ� �て可能となるものである。領域設定は、無数の可能性をもつものであり、それ自体は無邪気なものであると理解されたい。

3 「野宿」にみられる文化

 生活とは、複雑な活動の集合体であり、分解することのできないものであるが、ここでは居住や生業といった要素を抜き出しそこに「野宿」生活の文化、特徴をみてゆくことにする。

3−1 居住に関して

  先にもあげたように、「野宿」としてまとめられる生活形態は幅広く、ほとんど体ひとつで行動するスタイルや、居宅生活者とさほどかわらない量の所有物とともに、ほぼ固定的な小屋を構えるスタイルなど、多様である。
  現在、大阪市内の公園や路上では、既にある小屋やテントの撤去をめざす動きとともに、空きスペースをロープで囲ったり、地面に石やブロックで凹凸をつくるなど、新規の定住を拒むための動きがみられる。こうした現状のなかで、新たに固定の住居を構えることはむずかしく、それでも生業との関係などから都市の中心部を離れにくい「野宿」生活者は、最小限の荷物だけで、住居を構えることなく、移動をともなった生活しなければならない。生活のためには所有と活動(移動)が必要である。両者の兼ね合いでなされるのは、路上や公園や植え込みなどに荷物を保管することや、台車や自転車などに積むことで持ちまわれる荷物の量をふやそうとすることである。
  居住地の不安定性は、しかし、小屋を構える「野宿」生活者にとっても無関係とはいえない。行政による最終的な排斥は、法に基づく行政代執行によってなされる。最近の例では、1998年末の大阪今宮中学横歩道や、2005年1月の名古屋白川公園で、小屋がけ型住居の撤去がなされたことがあげられる。こうした手段がとられることは日常的とはいいがたいが、「野宿」生活者の所有物が本人不在の際に撤去され即日焼却される(2003年5月大阪)など、行政によるこまかい排除の動きは日常的である。
  大阪の天王寺公園上歩道橋や、東京の隅田川などでは、月に一回といった間隔で定期的に行われる清掃・消毒作業があり、このとき「野宿」生活者の住居は、一時的な撤去を迫られる。しかしそれは「一時的」な撤去であって、作業終了後には住居の再建がなされる。これは、「野宿」生活者と行政とのあいだに、あるていどの関係ができあがり、それによって、あるていどの安定性を得ているケースであるが、ここで注目したいのは、「野宿」生活者の住居がもつ「半固定性」というべきものである。<解体→再建>に適した住居の実例は、『0円ハウス』のなかでも、東京の戸山公園や隅田川の住居が紹介されている。また、『ASAKUSA STYLE』では、撤去の際に「すばやく移動できるように」リヤカーの荷台につくられた住居が紹介されている。<解体→再建>に特化した住居といえば、モンゴルの遊牧民が暮らす「ゲル」などを連想できるが、小屋がけ「野宿」生活者の住居にみられるこのような性質は、行政との関係といった周囲の「環境」に適応すべく作り上げられた文化であるといえるだろう。
  所有と移動の兼ね合いは、「野宿」生活をみるうえで重要なポイントといえそうである。

3−2 生業について


ヨーロッパ列強は、カリブ海の制御のために競ったか?

  「大阪府野宿生活者実態調査」によると、大阪市内の「野宿」生活者で回答のあった406名中、88.7%にあたる289名が、仕事として廃品回収業をおこなっていると答えている。「廃品」の内容は、アルミ缶、ダンボール、銅線、電化製品などが主にあげられる。アルミ缶は業者や「野宿」生活者の支援団体に買い取られ、現在のところ1キロ80円程度の相場がついている。アルミ缶の回収には、荷台を板などで拡大した自転車が用いられるケースが多い。回収場所としては、自動販売機横のゴミ箱や一般家庭が多く、一般家庭のケースでは、地区の資源ごみ回収日を把握することで、効率をあげるといったノウハウが伝わっている。都市中心部では競争率が高いことから、回収地域は広く郊外にまで及ぶ。ダンボールについては1キロ3円程度が相� ��であり、アルミ缶回収に比べると、かなり利益は薄いといえる。しかし当然のことながら、ダンボールよりもアルミ缶を集めるほうが競争率は高くなるため、ダンボール集めを選ぶ(選ばざるをえない)といった流れがあるようである。
  廃品回収業は、昔から、下層の労働としておこなわれてきた。これには、そもそも廃品全般が汚いものであるという認識があると思われるが、また細かい回収場所をいちいちまわるという作業が、業者としてはフォローしにくく非効率的であるため、下層の労働者である個人に低賃金で任せるといった構造があると思われる。
  このような低賃金の廃品回収業と「野宿」生活者との関係は、構造的につくりだされているものであり、「野宿」生活から自発的に選択し、つくられた文化とはいいがたい。しかし、そこでの作業のノウハウは、経験と伝承が生かされており、自転車の工夫などは、そこから生まれてきた文化ともいえるだろう。

3−3 「野宿」生活の発展はどこへ向かうのか

  「野宿」生活という形態は、居宅生活が通常である状況からすれば、異常な形態である。しかし、そこに暮らす「野宿」者は、「通常」とされる社会に生活した経験を過去にもち、また現在もその社会と何らかのかかわりを保っており、そこから強く影響をうけている。こうした環境の中で、「野宿」生活の発展とは、どのような形態をとるのだろうか。
  もっとも安定化した「野宿」生活の形態といえるであろう小屋がけ生活は、ほぼ固定された住居をもち、その内部には、一般的な居宅生活と同様の生活空間がつくられている。ここには、布団をしくことのできる就寝のための空間があり、調理をすることのできる食事のための空間がある。「野宿」の原形態を、路上や公園にただ寝ることであるとするならば、これは自ら空間をつくり、自身を支える生活をそのなかに取り込んだ発展であるといえるだろう。もっとも発展したとみることのできる小屋がけ生活の一部では、発電機や自動車用バッテリーを用いることで、照明やTVといった電化製品を使用している。当然のことながら、このような生活には、発電のためのガソリン代やバッテリーの充電代といった「電気代」が、居宅生活と� �様に、かかることとなる。
  「野宿」生活にみられる発展とは、一面において、居宅でなされる生活に近づくことであるように思われる。これは、「野宿」者がかつて居宅生活においてそのような生活形態をとっていたことや、現在もそのような生活を周囲にみられることを思えば、当然の指向であるといえるだろう。
  では、「野宿」生活にみられる文化とは、単に、日本の居宅生活でみることのできる文化の不完全な形態であるといいきれるだろうか。そう思われるときの「文化」とは、先に挙げた辞書的な意味では、(3)(「世の中が開け進み、生活が快適で便利になること」)の意味で考えられるものであり、本稿であつかう意味とはわけて考えられなければならない。
  「野宿」生活の特徴的な点のひとつは、それが「不法」な占拠であるとされることである。居宅生活を上位におくならば、「土地所有の正当性」は最大の「欠落点」であるといえるだろう。その「欠落」は、事実、行政や社会一般からの排除という、「野宿」生活者にとって無視できない、かつ日常的な環境をつくりだすのである。
  「野宿」生活は、居宅生活主流の社会から大きく影響をうけながら、土地問題や家族関係など、現代社会と相違がみられる点において、独自の文化を発展させてゆくだろう。

4 「野宿」生活に文化をみいだすことの意味
 
  「野宿」に文化をみいだす行為は、どのような意味を持つか。居宅生活に紹介される「野宿」の文化は、居宅生活者の社会、「野宿」生活者の社会、両者をあわせ含む社会にどのような影響をあたえるのだろうか。

4−1 文化の独立性


  文化は、人間の生活そのものに与えられる意味である。人間の生活形態は、社会における共同の過程で、当然ながら法の制約をうける。一方で、生活の形態の変容は、法のありかたや内容に影響をあたえる。これらを考える際には、酒、煙草、大麻などが、ときと場所において、法といかにあいまいな関係を続けているかを思えばわかりやすい。
  また、法と文化を対立的に捉えることをやめて、法が社会のシステムの一形態であると考えれば、法もまた文化としてとらえることのできる対象となる。
  つまりここで確認しておきたいのは、文化と法との関係を考えたとき、違法合法という判断にとらわれることはなく、文化という概念は独立したものである、ということである。ある行為や生活形態に文化をみいだすとき、そこには、対象を尊重すべきものとしてとらえる姿勢がうかがえる。違法合法といった基準によって、その文化そのものの価値が変わることはない。「野宿」生活に文化をみいだすことは、必ずしも「野宿」生活を正当化し合法であらせようとするものではない。しかし「野宿」の文化は、「野宿」生活が法の下位にあるものとして合法/違法の判断を下そうとする動きに対し、まず法の対象であることを超えた対立点を作り出すといえるだろう。

4−2 生存権と「文化」

  日本国憲法では第25条において、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障している。「野宿」生活者にとって、この条文の解釈は重要な問題である。
  自立支援センターやシェルターの設置といった、行政の対「野宿」生活者施策は、この条文に基づいてなされるが、これらの措置に対し、同じくこの条文に基づいて、反対し、「野宿」生活を継続しようとする「野宿」生活者は少なくない。行政側は、「野宿」生活が「健康で文化的な最低限」ではないとして自立支援センターやシェルターへの入所を提示するが、反対する「野宿」生活者は自立支援センターやシェルターでの隔離・管理された生活こそが「健康で文化的な最低限」でないと主張する。両者の対立点は「文化的」という言葉の解釈にあるといえる。
  この対立は、「文化」という言葉がもつ意味の多様性による。簡単に意味をあてはめることはできないが、行政側の提示する「文化」とは、先にあげた辞書によれば、まず第一に(3)の意味(「世の中が開け進み、生活が快適になること」)で、「野宿」生活は快適でなく居宅生活の不完全な形態であるとして、第二に(1)の意味で、日本社会を構成する大多数としての居宅生活者が共有している「文化」に照らし合わせたとき「野宿」生活は習俗や法・制度に反するとして、「野宿」生活が「文化的」ではないと解釈しているように思われる。
  本稿が扱う、「野宿」に文化をみいだす行為とは、それ自体そもそも違法合法を問わないものであるが、法のもとで「文化的」か否かが問題とされる場合には、「野宿」生活における「文化」の所在を主張し、「野宿」生活もまた「文化的」であるとする側に与できるものである。

4−3 消費の対象となる危険性

  居宅生活者の社会において、「野宿」生活の文化は特異なものである。よって「野宿」文化は、メディアに紹介されることで、消費の対象となりうる。消費の対象としての「野宿」生活は、見るものの好奇心をくすぐる。それは、ときに「野宿」生活者を自らの社会に含むものとして、自身の所属するする社会を問いなおそうとすることもあるだろうが、ときに、単にテーマパークやパビリオンを見るように異世界として認識され、繰り返し見ることでやがてそれは、興味の対象としてのエネルギーを失う。これは「野宿」が常に社会、行政との争点を抱えている現状からすれば、争点に向き合っている「野宿」生活者やその支援者にとって、望ましくないことである。異社会の文化として「野宿」をとらえ消費の対象にすることは、たと� ��文化の尊重性を認識されようとも、現行の社会においては共存できないものとして、「野宿」生活者の排除になんの疑問ももたせないであろう。

4−4 対抗文化としての「野宿」文化

  「野宿」文化は、日本社会のメイン文化を居宅文化として考えたとき、この社会にどのような位置づけをなされるのか。対立を生みながらもその存在をアピールする「野宿」文化を、メイン文化に対する対抗文化としてとらえることは可能だろうか。
  欧米においてなされるスクウォットには、経済状況をふまえた、土地所有権を超える居住権の積極的主張とともに、アーティスト系の若者たちによってなされる、経済状況も所有権も超えた、意識的な占拠生活がある。これらは社会が日常とする概念、自明とする概念に対立する、対抗文化の一形態といえるであろう。対抗文化としてのスクウォットは、そもそも土地の私的所有とはなんであるかを問いかける。生存権、居住権といったものとともに、芸術は、土地所有の概念にあたえられている絶対性をゆるがせる。
  日本の「野宿」生活は、さほどこれらの点に関し自覚的ではない。「野宿」生活から自己表現をしてゆこうとする若者達という例もあまりきかれないし、「野宿」生活者の多くは、「申し訳ない」と感じながら生活しているケースが多い。日本の野宿者運動でも、「野宿」生活をスクウォットと訳し、公園にテントや小屋を構えることの正当性を主張する動きがでてきている。しかし、今のところ、「野宿」文化を居宅文化に意識的に対抗させていこうという状況にはないように思われる。

5 おわりに


 ここ数年において、「野宿」生活者の数は急増し、とりまく状況も変化をとげている。「野宿」生活が、「野宿」生活者本人の意思に反し、経済不況といった社会環境によって生み出されてきたことは紛れもない事実である。こうした作られた「野宿」生活に文化をみようとすることは、この社会に生きる私にとって、単に異国の文化をみることとは異なり、常に葛藤を抱かせるものであった。
  こうした葛藤もあってか遅々として進まない今回の考察に、原動力をあたえたものは、「野宿」の文化それ自体がもつエネルギーと、こうした「文化」が社会に対してもつ可能性であった。
  『0円ハウス』のあとがきで、撮影者の坂口恭平は「路上の家には創造性と現実性が同時に溢れかえっている。」「路上の家は、まさに人間の持っている柔軟で複雑な高次元の知覚そのものとなっていた。」と記している。「野宿」生活は、世間一般に、堕落した、非生産的な生活であるかのような印象をもたれがちであるが、かならずしもそうではない。「野宿」の文化は、与えられた(奪われた)環境のなかで、人間本来がもつ創造や学習や共有といった能力を活用することによって築きあげられたものである。それはむしろ、定型化した住居に暮らし、一極集中したメディアから発せられる情報に依存しがちな、現代社会一般においてこそ、失われつつあるものだといえないだろうか。そう考えたとき、「野宿」の文化が社会対して� ��つ可能性は、「野宿」生活者にとどまらず、広く社会一般にまで影響を与えるものであるといえる。
  逆説的ではあるが、「野宿」の文化が、「野宿」を生み出す社会に還元され、問題としてあつかわれる「野宿」のなんらかの解決につながることを祈る。

<参考資料>

『ASAKUSA STYLE』曽木幹太(文藝春秋 2003年)
『0円ハウス』坂口恭平(リトル・モア 2004年)
『ホームレス/現代社会/福祉国家』岩田正美(明石書店 2000年)
『日雇労働者・ホームレスと現代日本』社会政策学会(御茶の水書房 1999年)
『大阪府野宿生活者実態調査報告書』

 

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