集英社新書
026 四十年前へのフラッシュバック
◆移民大国アメリカ
遠い場所での戦争が泥沼化し、国内では人種問題が再燃。現在のアメリカと一九六〇年代を比較すると、あらゆる側面において変化が見られる一方で、センセーショナルな出来事から時が経つと取り組むべき課題も忘れ去られてしまい、根本的解決に至らないという点は残念ながら共通している。アメリカン・ドリームやアメリカン・デモクラシーは想像上にしか存在しないのだろうか。
二〇〇五年下半期で印象的だった動きの一つが、ハリケーン・カトリーナ到来後の無秩序状態をフランスのメディアが皮肉り、秋の暴動に触れてアメリカ側が応酬するというやりとりだった。今年カリブ海やメキシコ湾一帯では、Aから順番に準備されていた名前を使い切ってしまい、アルファやベータと呼ぶようになったほどハリケーンが大� ��発生。被害は、海外メディアにクローズアップされがちだったニューオーリンズに留まらず広範囲に及び、その荒廃ぶりは南北戦争や、公民権運動の時代をも彷佛とさせるものだった。三ヶ月以上が経った今も復興の目処は立たず、依然として自宅へ戻ることのできない大勢の被災者が、いつまで補助を受けることができるのかという問いも深刻だ。
避難先のスタジアム等で危険な目に逢ったり、わずかな家財が盗まれたりする可能性も高く、電気が止まり水没した自宅からの退去を拒否する人もいたと報じられている。暴徒化や略奪への対策として非武装化が進められたが、企業や富裕層が雇った大勢の私的警備員は適用除外だった。ビザに規定された勤務先のカジノが消えて不法滞在者となってしまった、オーバーステイが発覚 する恐れがあり助けを求められない、という人もいたようだ。
渡米した移民の出身地を扱う統計によると、一八二〇年以降の入国者数はドイツ、メキシコ、イタリア、イギリス、アイルランドの順に多い。9・11以来は国土安全保障省の管轄事項となり、ビザ取得が困難になった。正確にはわからないが、もはや合法的に居住を始める人数を、不法滞在者が上回っているとも言われる。フランス同様、雇用や治安、税金の使い道を巡る敏感な問題であり、近隣諸国との外交問題として、あるいは公立図書館にスペイン語など外国語の本を揃えるべきか否かというローカルなレベルとしても、衝突が耐えない。
ハリケーン直撃前に避難する術を持たなかった貧困層を、数々の問題が襲った。例えば、ビルから書類が紙吹雪のよう に舞ったと言われる9・11のように、電子ファイルとして保存されていなかった重要な資料が失われてしまった。刑務所では、軽罪で審問を待つ間に被災し、保釈金を払うことができず、弁護士は避難しており裁判を受けられないというケースが続出したのだ。" 'I talked to one guy who was arrested for reading a tarot card without a permit,' she said. 'These are mostly poor people. They haven't been in contact with their family. They have no word at all. A lot of them are pretty devastated. You had a lot of grown men breaking down and boohooing when you talked to them. The warden said they hadn't had food or water for two or three days. So a lot of them were just grateful to be out of the sun, in an air-conditioned place where they could find food and a shower and a mattress.'" (September 9, 2005. New York Times)(許可なしにタロット占いを行って逮捕された男性もいた。ほとんどは貧しい人びとで、家族と連絡がとれず、安否情報さえない。途方に暮れた人も多く、話を聞こうとすると、大の大人が大勢、おいおい泣き崩れてしまうほど。所長は、彼らが二、三日は水や食べ物にありついていないと言った。だから陽射しから逃れることができ、食料、シャワー、布団や空調が整っていることに感謝している)とは、ルイジアナ州で事件処理に当たった職員の証言だ。
元大統領夫人で現ブッシュ大統領の母親であるバーバラ・ブッシュは、避難民についての誤解を招く発言で物議を醸した。''What I'm hearing is they all want to stay in Texas. Everyone is so overwhelmed by the hospitality. And so many of the people in the arena here, you know, were underprivileged anyway, this, this is working very well for them." (September 7, 2005. Boston Globe)(みんなテキサスに留まりたいということを聞いています。歓迎ぶりに驚いているみたい。アリーナにいる人びとの多くは元々、恵まれない生活を送っていました。これは彼らにとって好ましい状況です)。
彼女の場合は、差別的意識の有無以前に、物わかりが良いとはお世辞にも言えないようだ。東海岸の高級住宅地で、隣人の幼い娘が庭のチューリップを摘み取ったとバーバラ・ブッシュが警察に通報したというエピソードを、彼女の近所に住んでいた人から聞いたことがある。実際はニューイングランドのエスタブリッシュメントに他ならないブッシュ一族だが、<テキサスの庶民派>の演出に成功したことは非常に興味深い。
◆近隣諸国との関係
不動産は、保護観察処分のされたときに何が起こる
自然災害への対応、イラク情勢、側近のスキャンダル、支持率低下に加え、十一月にはアルゼンチンで大規模な抗議デモに迎えられたブッシュ大統領。泣きっ面に蜂という感じだが、ここでも数々の名言を残している。まずは、公の場で自分を嘲笑・挑発しているベネズエラのウゴ・チャベス大統領について。サミット会場で遭遇しても "I will, of course, be polite. That's what the American people expect their president to do, is to be a polite person." (November 5, 2005. New York Times) (もちろん、失礼にならないようにする。アメリカ国民は大統領に、礼儀正しくあることを求めているのだから)と言い切った。
CIAに命を狙われていると主張し続けてきたチャベス大統領に対しては、キリスト教牧師パット・ロバートソンが人気テレビ番組において、テロリスト的発言を向けている。"If he thinks we're trying to assassinate him, I think that we really ought to go ahead and do it. It's a whole lot cheaper than starting a war. And I don't think any oil shipments will stop." (August 24, 2005)(我々が暗殺を企てていると彼が考えているのなら、本当に実行すれば良いではないか。戦争を始めるよりよっぽど安上がりだし、石油の輸入は止まらない)。一九八八年には共和党候補として選挙に出馬し、今はブッシュ政権を強力に後押しする人物の言葉である。
手を貸していたかどうかは別として、米国政府は失敗に終わった二〇〇二年の反チャベス派によるクーデターを少なくとも歓迎した。本件を題材にしたドキュメンタリー番組を比較すると、同じ場面を映していても真っ向から対立する説が展開される。必死の攻防が繰り広げられ、国民一人ひとりがはっきりとした意見を持っているのは、日本では想像できないほど、政権の座に就いた人物によって生活が一変するためだろう。
ブッシュ大統領は、アルゼン� ��ンのキルチネル大統領に対して"It's not easy to host all these countries. It's particularly not easy to host, perhaps, me." (これだけの国の集まりでホスト役を務めることは、容易でないだろう。私が参加した場合、主催国は特に苦労するのかもしれない)、また記者団には"Look, I understand not everybody agrees with the decisions I've made, but that's not unique to Central or South America. Truth of the matter is, there's people who disagree with the decisions I've made all over the world. And I understand that. But that's what happens when you make decisions." (November 5, 2005. New York Times) (いいかい、私の決断に誰もが賛成しないことはわかっているが、それは中米や南米に限ったことではない。実を言うと、私の決定に反対する人は世界中にいる。それは充分承知しているが、判断を下す上で避けては通れないことなのだ)とも述べている。
米州サミットではFTAA(米州自由貿易地域)について合意できなかった上、キルチネル大統領でさえ、開会演説で米国の政策を批判した。ジョージ・W・ブッシュはラテンアメリカの人びとの間で史上最も支持率が低い米国大統領とも報じられているが、これは過去にも例外なく反発が起きているため、すごい快挙?である。
ここにも六〇年代の影がちらつく。今回、政府の代表者として唯一顔を見せていないカストロ議長に、ブッシュ大統領は、中南米でCIA関連のテ� ��行為に携わり逃亡や恩赦の末にアメリカへ不法に入国したルイス・ポサダ・カリレスを巡る二重基準で非難された。国際法に基づくベネズエラへの引き渡し要求に応じることを渋るアメリカ政府だが、 "The legal standard for a grant of political asylum is "a well-founded fear of persecution," not of prosecution. " (May 20, 2005. New York Times) (政治的亡命が許可される法的基準は、「迫害の確固たる危険性」であり、訴追のそれではない)。一方、ポサダ側の弁護士は、彼が一九六二年に合衆国政府と協力していた頃に永住権を獲得したのだと語っている。
当時、ピッグス湾侵略の計画を知らされCIAに許可を下したケネディ大統領は、ベトナムの場合と同じく、共産主義に対して甘いと言われないよう気を揉んでいた。実は内政においても、ケネディは議員時代から南部の民主党員の反発を買わないよう、事態を慎重に見守るばかりだった。それに比べれば、政治家としての実行力を兼ね備えたリンドン・B・ジョンソンの方が、公民権運動に大きく寄与している。
◆人種問題か貧困問題か?
アウシュビッツの死の収容所にどのように多くの人々撮影しましたか?
アメリカでは肌の色で差別を受けるのか? ハリケーン・カトリーナをきっかけに議論は再噴出した。マルクス主義的視点から分析を続けている歴史家ハワード・ジンは、内在的な差別意識というよりも、経済システムや階層という構造的な障壁を理由に挙げる。
一九五四年には「分離すれども平等」の原則が法的に否定されたとはいえ、投票の権利を保障する法律が整っても脅迫は激化するばかりだったし、雇用機会が平等になったわけではなかった。デモ隊には警察犬、こん棒、放水、催涙ガスが向けられ、各地で暴動が勃発した。 "In Harlem, blacks who had voted for years still lived in rat-infested slums…It seemed clear by now that the nonviolence of the southern movement, perhaps tactically necessary in the southern atmosphere, and effective because it could be used to appeal to national opinion against the segregationist South, was not enough to deal with the entrenched problems of poverty in the black ghetto." (Howard Zinn, A People's History of the United States. 458.) (ハーレムでは、何年も前から投票していた黒人たちが未だ、ネズミだらけのスラムに暮らしていた……南部発の運動については、その状況下では非暴力主義が必要だったのかもしれない。南部の分離政策に対する世論を高める効果もあった。しかしながら、黒人のゲットーに確立されてしまった貧困への対処に不十分だということは、明らかだった。)
ただ、奴隷制度を扱う章における彼の考察は、希望的な響きを含んでいる。"We see now a complex web of historical threads to ensnare blacks for slavery in America: the desperation of starving settlers, the special helplessness of the displaced African, the powerful incentive of profit for slave trader and planter, the temptation of superior status for poor whites, the elaborate controls against escape and rebellion, the legal and social punishment of black and white collaboration. The point is that the elements of this web are historical, not 'natural.' This does not mean that they are easily disentangled, dismantled. It means only that there is a possibility for something else, under historical conditions not yet realized. And one of these conditions would be the elimination of that class exploitation which has made poor whites desperate for small gifts of status, and has prevented that unity of black and white necessary for joint rebellion and reconstruction. " (こうして、アメリカにおいて黒人を奴隷として捕らえた、複雑に絡み合う歴史的要因を見ることができる。餓死寸前だった開拓者たちの絶望、故郷を失ったアフリカ人たちの際立った無力、奴隷商人とプランテーション経営者が持つ利益追究のインセンティブ、貧しい白人にとっての優位を感じる誘惑、逃亡や反乱への巧妙な管理、黒人と白人の協力に対する法的・社会的罰則。つまり、網を織り成すこれらの要因は<自然的>ではなく歴史的なのだ。簡単に解きほどき、取り壊すことができるという意味ではない。ただ、実現されていない歴史的な条件が整った場合には状況が変わるかもしれない可能性を示唆している。そして、その条件の一つが、階級搾取の撤廃。これこそが、貧しい白人にわずかな優越感を必死に求めさせ、反乱� ��再建に必要な黒人と白人の団結を阻止してきた)。(Zinn, 38)
エンターテインメントやスポーツの世界で生まれたスーパースター、または政治や医療といった分野で活躍し裕福になった黒人は、機会の平等は達成されたと語っている。確かに、教育や雇用といった場面における差別は、法律上では撤廃された。しかし、一方では先進国らしからぬ貧困が根強く残っている。どこまでが人種に関わり、どこからは個人の領域なのか、答えを導き出すことは容易ではない。
◆階層社会の現実
上位3つのお化け屋敷
一般的に見ると、アメリカ人が出身階層に留まる確率は三十年前より高いそうだ。しかし、『ニューヨーク・タイムズ』紙の世論調査によると、四〇%が流動性は高まったと信じている。貧しい生まれでも、努力すれば富を手にすることができると答えた人は、二十年前より増えた。
そもそも、社会階級とは何か?と記事は問いかける。身分、文化やセンス、態度、排他性、アイデンティティーが絡んでくるかもしれないし、メルクマールは単に金銭的なものだという者もいるだろう。階級を排除する目標を掲げた社会でも身分の差は生じたし、十人を一つの部屋に入れれば、上下関係が生まれる。
消費パターンや政治的信条で判断しにくくなったことは確かなようだ。"Religious affiliation, too, is no longer the reliable class marker it once was. The growing economic power of the South has helped lift evangelical Christians into the middle and upper middle classes, just as earlier generations of Roman Catholics moved up in the mid-20th century. … You go to Charlotte, N.C., and the Baptists are the establishment."(宗教的帰属性も、かつてのように確実な階層の目印ではなくなった。南部の経済力が高まりつつある中、福音派は中流、上流階級に押し上げられた。二十世紀中盤にカトリック教徒の地位が向上したように……ノースキャロライナ州シャーロットへ行くと、バプチスト派がエスタブリッシュメントなのだ)という専門家の話も紹介されている。
フォーブス誌がリストアップした最も裕福なアメリカ人四百人中、富を相続したのはたった三十七人。これは一九八〇年代の二百人という水準と比較しても低く、華々しい時代を期待させる。ただ、" 'Anything that creates turbulence creates the opportunity for people to get rich,' said Christopher S. Jencks, a professor of social policy at Harvard. 'But that isn't necessarily a big influence on the 99 percent of people who are not entrepreneurs.'"(「変化の波は金儲けの機会を提供するが、企業家ではない九九%の人びとにとっては、大きな影響とは限らない」とハーバード大学の社会政策教授、クリストファー・S・ジェンクスは語る)。
視聴者が投票するオーディション番組『アメリカン・アイドル』や、ドナルド・トランプが経営の極意を伝授する『ザ・アプレンティス』といったテレビ番組が神話を作り上げ、教育等の機会創出にコネクションが果たす役割を考慮に入れることなく、能力主義社会が実現したと叫ばれる。アメリカのエリート層に生まれた者の特権は、世界でも例を見ない。一方、西ヨーロッパや日本、カナダと比較しても、貧しく生まれた際は著しく不利なのだ。 (May 15, 2005. New York Times)
◆公民権運動の記憶
イラク復興においてアメリカが本気でポジティブな働きかけをするつもりだったならば、戦後日本を比較対象に持ち出すよりも適切なプロトタイプがあったような気がする。アメリカも、実は内戦と統合の経験があるのだ。しかも、工業化した北部にとって、依然農業ベースだった南部の人びと、奴隷制度が撤廃されてからも小作人として搾取されていた黒人、そして他のマイノリティーとは、同じ国民という実感を持つことさえ困難な対象だった。
破滅的な被害をもたらした南北戦争が終わり、黒人を解放するはずだった憲法修正からほぼ一世紀が経ってからも、南部各州のジム・クロー法は、病院、公共交通機関、飲食店、ビリヤード場、野球、公園、トイレ、サーカス、住居施設、理髪店、そして結婚、同居、教育、葬儀� �いった生活のあらゆる側面に及んでいた。法律に目を通してみると、「混血、マレー系、モンゴロイド系」にも適用される、一つの部屋で同じ時間に白人と黒人に酒を売ってはならない、と実に細かいことに驚かされる。
一方では公民権運動への反動、他方では遅すぎる変化への苛立ち。双方のぶつかり合いが長らく続いた一九五〇年代、六〇年代の写真からは、戦場と化したようなアメリカの様子が見受けられる。指導者の暗殺も相次いだし、十字架の名の下で、テロが市民を襲った。
白人活動家たちには悪気がなくとも、黒人の目には偽善者として映ることがあった。また南部の人間は、中央政府が干渉的で独り善がりだと感じ、幼少期から聖書に人種分離が説かれていると教えられてきた貧しい自分たちを「人種差別的� �、後進的だと見下している」のだと強く抵抗した。再建には時間がかかること、そして外部者への反発が起こることを示している。
一九五五年に十四歳のエメット・ティルが集団リンチを受け死亡した象徴的事件は、今年アメリカで公開されたドキュメンタリー映画の製作過程で収集された証言等をきっかけに、再捜査が始まった。同じくミシシッピ州で一九六四年に起きた北部の白人二人、地元の黒人一人の公民権運動家の暴行殺害事件でも進展が見られているが、今さら憎しみを呼び覚ます必要はない、当時の価値観を理解している同等の者に裁かれるべき、と反対する声も上がっている。
解決のためにFBIが本格的に資金と人員を投じ、公民権法整備にも繋がった通称<ミシシッピ・バーニング>事件(一九八八年製作の� �画より)を指揮したとされる八〇歳のエドガー・レイ・キレン被告は、今年の夏、車椅子に乗り、酸素チューブを装着して法廷に姿を見せた。経営する製材所での事故が原因で脚や腕が不自由だとして、故殺の有罪判決を上訴している間は収監されていなかったが、車を運転している様子を目撃され、拘束された(Associated Press)。
今回のように殺人の罪に問われたのは彼ただ一人で、有罪となれば残りの人生を刑務所で過ごすことになる可能性が高い。四十年以上前に起きた事件の直後は、公民権に関する連邦法に基づいて告発がなされ、直接関与した者も実刑は六年以下だった。キレンが当初、釈放されたのは、全員が白人だった陪審員の一人が有罪判決を下すことを拒否したため。彼女は後に、キレンがバプチスト派の宗教指導者であることが理由だったと述べている。 (Los Angeles Times)
また、先月はローザ・パークスが九十二歳で亡くなった。白人の乗客に席を譲らなかった一九五五年の一件に始まったことではなく、普段からバスに乗らず歩くなど静かに抵抗していたと語る彼女の逮捕がきっかけとなったバスボイコットを経て、全国的な公民権運動指導者となったマーティン・ルーサー・キングについて、ハワード・ジンは次の点に注目している。 "In the spring of 1968, he began speaking out, against the advice of some Negro leaders who feared losing friends in Washington, against the war in Vietnam. He connected war and poverty.
キングの演説は抽象的で非現実的、かつ権力に取り入っていると批判したマルコムXには長らく狂信的というレッテルが定着していたが、近年は功績が見直されている。メッカへの巡礼から帰国した彼は、犯罪や刑務所生活から宗教や時事問題にまで至る自分の体験や知識を結集させて「神は肌の色で人を区別しない」と結論づけ、晩年には、白人と黒人の分離を唱えるネーション・オブ・イスラムとは一線を画するようになっていた。や� ��り暗殺については、派閥闘争だけでは片付けられず、FBIが何らかの形で関与していた疑いが消えない。前述の映画『ミシシッピ・バーニング』(1988) 同様『マルコムX』(1992)も、脚色されているとはいえ、時代の雰囲気をうまく捉えたと評価されている。
『ミシシッピ・バーニング』を鑑賞していると、FBIがKKKを摘発するために用いた、証拠として使用できないはずの脅迫や盗聴といった手法も正義のためだったという印象を受けがちだ。しかし、"It was discovered later that the government in all the years of the civil rights movement, while making concessions through Congress, was acting through the FBI to harass and break up black militant groups…Was there fear that blacks would turn their attention from the controllable field of voting to the more dangerous arena of wealth and poverty?of class conflict? …The new emphasis was more dangerous than civil rights, because it created the possibility of blacks and whites uniting on the issue of class exploitation." (Zinn, 463) (議会を通じて譲歩をしながらも、政府はFBIを通じて闘争的な黒人組織を攻撃し、解体しようとしていた事実が、後にわかった……黒人たちが、政治参加という予測可能な分野から、富と貧困、階級の対立という危険な領域へと関心を移すことを恐れていたのだろうか?……新たな着目点は、公民権よりも大きな脅威だった。階級の搾取という問題において、黒人と白人が団結する可能性をはらんでいたためだ)。
ブラック・パンサーズも、地域社会の安全を確保し、子供たちに朝食を振舞うという活動ではなく、武装化の側面ばかりが強調されていた。彼らが排除しようと試みた麻薬自体、黒人コミュニティーの活力をそぐ意図でFBIが導入、または少なくとも黙認していたとも言われている。自分たちは"Above the law" (法に縛られない)と言わんばかりの活動を続けてきたFBIやCIAは、9・11後も組織編制、テロ容疑者の拘留、政府高官による諜報員の名前リーク事件など話題が絶えない。国家安全保障に関わる危機が迫っており、強制手段もやむを得ないという主張には慎重でいたい。
◆進歩はあったのか、それとも後退しているのか?
二〇〇四年十一月、アメリカ大統領選の結果が世界的に注目される中、上院で唯一の黒人議員(史上五番目)であるバラク・オバマ(当時、四十三歳)がイリノイ州で当選した。ケニア人の父親が祖国へ帰ってからは、カンザスの田舎町出身であった白人の母親と祖父母に育てられたというオバマ。彼を黒人と呼ぶならば、同じように白人だと言うこともできるような気がするが、いずれにせよアイデンティティーにまつわる彼の考察は鋭く、そして普遍的でもある。幼いころにはジャカルタで外国人としての特権的地位を体験し、また滞在経験のあるハワイ、カリフォルニア、ニューヨーク、イリノイ、マサチューセッツの各州では貧しさにも直面してきた彼は、寛容な態度によって広く支持を集めているそうだ。有色人種として初� ��大統領になってほしいと期待する声が、早くも上がっている。
次回は、オバマが十年ほど前に執筆した、自分の半生そして両親の生い立ちを振り返る回顧録に、二〇〇四年の民主党大会で話題を集めたスピーチと新しいまえがきが加えられたBarack Obama, Dreams from My Father: A Story of Race and Inheritance (改訂版2004) と、アーサー・M・シュレジンガー・ジュニア著、Arthur M. Schlesinger, Jr., The Disuniting of America: Reflections on a Multicultural Society (改訂版1998)の二冊、そしてFBIの情報収集計画COINTELPROの標的でもあったアメリカの反体制過激派ウェザーメン(通称:The Weathermen)を題材としたドキュメンタリー作品 Weather Underground (2003)を取り上げたい。
ベトナム戦争、海外における反民主主義的勢力への援助、性差別、人種差別を始めとした国内外の現状に抗議し、米国政府の転覆を目標としたウェザーメンは、ニクソン政権による<対テロ>政策の正当化に利用された。また、彼らは実際に爆破事件などを起こしているにも拘わらず、貧しいコミュニティーに暮らす人びとの支援運動をも行っていたブラック・パンサーズのような黒人組織の方が厳しく弾圧されたとも指摘されている。
外国で大規模な兵力が展開される一方で、米国内が戦場に喩えられる。人種と貧困、警察・情報組織、メディア報道……鍵となるコンセプトは、六〇年代と今とで驚くほど似ている。現在の状況を打開していく上で先見の明は働かないが、過去の出来事に関しては、あと 知恵という強みがある。それだけに、歴史を振り返って比較を試みる価値があると思えて仕方がないのだ。
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