伝説の投資家シリーズ3 −George Soros | 殿堂入り株式メルマガ 億の近道
伝説の投資家シリーズ第3弾はGeorge Soros(ジョージ・ソロス)です。世界的な知名度でいえば、前回ご紹介したシモンズをはるかに上回り、バフェットと並んで世界で最も有名な投資家と言えます。
ソロスは、世の中に「ヘッジファンド」という業界を知らしめた功績の持ち主です。1930年にハンガリーで生まれたユダヤ人のソロスは、ナチスドイツとソビエトとの激しい戦闘下という厳しい環境で、少年時代を過ごしました。この30年生まれというのは、バフェットと同じ年で、更にはソロスが8月12日生まれで、バフェットが8月30日生まれと、誕生日は僅か2週間ほどしか違いません。世界が大恐慌に苦しむ中、これほど近い日付で人類史上最も偉大な2人の投資家が生まれていることに、因縁めいたものを感じるは私だけではないと思います。
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彼が17歳のときに家族で英国に移住し、そこで経済学の名門LSE(London School of Economics)を卒業しましたが、世界は第2次大戦の傷跡も生々しい不況にあったため、安定した職を見つけられず車掌やウェイターを務めた後に、やっとのことで商業銀行での職を見つけます。
その後26歳で米国に渡り、10年以上いくつかの投資銀行でトレーダーやアナリストを務めた後、37歳のときに自分のヘッジファンドを創設します。40歳のときに、こちらも今や世界的に有名な冒険投資家Jim Rogers(ジム・ロジャース)と、Quantum fund(クオンタム・ファンド)を創設しました。クオンタム・ファンドは、10年間で33.7倍のリターンというとんでもない成績をたたき出します。この10年間の年間平均リターンは42.2%で、同じ期間のS&P500のリターンが5.9%であったことを考えると、いかに凄い実績かが分かると思います。
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ファンドを設立して10年後の、ソロスが50歳のときにロジャースはクオンタム・ファンドを離れますが、その後もVictor Niederhoffer(ヴィクター・ニッダーホッファー)やStanley Druckenmiller(スタンリー・ドラッケンミラー)などのスーパースターを次々と発掘し、クオンタム・ファンドは順調に拡大していきます。そして、"その日"を迎えることになります。
92年当時、European Exchange Rate Mechanism(欧州為替相場メカニズム)に基づいて、英国の中央銀行であるイングランド銀行は、ポンドをマーケット介入により買い支えていました。そこに歪みを見出したソロスは、92年9月16日に史上空前の100億ドル(約8,500億円)もの資金により、ポンドに対する空売りを仕掛けます。ソロスの空売りによって値を下げた流れは、以前からポンドの価格が高いと感じていた他の投資家も巻き込み、パニック的なポンド売りへと発展していきます。
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イングランド銀行も、午前中に公定歩合を10%から12%に引き上げ、午後にも12%から15%に引き上げるという、異例の手段で対抗します。更に、150億ドル(約1.3兆円)の資金を政府は緊急調達し、必死にポンドを買い支えますが、世界中の投資家からの売り圧力に対抗することができずに、ついにはポンドの切り下げへと追い込まれます。ソロスはこの取引により、1日で約1,000億円のリターンを上げたと言われています。
一個人により先進国の中央銀行が屈服させられるというこの象徴的な事件により、世界はヘッジファンドの影響力を思い知ることになりました。この事件を契機として、世界は金融資本主義へと歩みを加 速していくことになります。
80歳になった今でも、ソロスはクオンタム・ファンドの代表であり続け、日常的な取引には加わっていないものの、中長期的な方針に関するアドバイスを行い、毎年1,000億円以上の報酬を得ています。ソロスは、何歳になっても投資の世界で戦っていたいなと、私達を常に奮い立たせてくれる存在です。
S&S investments
岡村 聡
【プロフィール】
東京大学工学部卒、東京大学大学院学際情報学府卒。
卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、
バイアウトファンドのアドバンテッジパートナーズに勤務。
2010年6月より、投資アドバイス会社S&S investments起業。
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。)
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